シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

2月7日であろう 〜生命のスープ〜

究極的には、わたしが幸せになる方法だなんて推しといちゃいちゃするか、ハイパー美味しいお味噌汁を飲むことなのだ。おみおつけ、と言い換えても良い。シンプルが良い。わたしはずっとシンプルの正体が何であるかを追い回していて、シンプルであることは幸せを模る"わく"のようなものだと捉えている。シンプル自体に実態はなくて、そこに何かがハマって初めて幸せになるのだ。そのひとつがおみおつけであり、おつゆと言い換えても良い。今日は仕事で外出の日でしたが、お昼ごはんで立ち寄った定食屋さんのお味噌がハイパー美味しかった。すごい食べたことない味がした。複雑な旨みで、全然シンプルじゃなかった。ナチュラルウッドのテーブルには、運河みたいな年輪があって、宇宙をきっと表しているのだと思いたい。そこに佇む、ああ、あれもきっと宇宙なのだなと気付く。複雑だけれど、わたしに注がれるとシンプルに美味しいに変換される。そのプロセスが幸せなんだな。本当に美味しかったけど、ああいう素敵なお店には何故か二度目がないんだよな。何でだろうな、全然シンプルじゃないな。

2月6日であろう 〜ビジネスのうみそ〜

今日はどうしても朝早く会社に行かないといけなくて、しかもわたしがお客さんに色々説明をしないといけない立場でもあった。朝からハイパーメカプレーリードッグなみにバタバタと準備して、ハイパーメカプレーリードッグなみのスピードで電車に乗り込む。雪の影響は特にはなかった。電車の中で説明の手順をおさらいする脳みそ。これが良くなかったのです。通勤時間のブログは半日課になりつつありますが、ぐうの音も出ないほどのビジネス脳みそになりまして、全く言葉が出てこない。全部相対性理論と、たくさんの円周率と、むかし一回だけ本で読んだことがあるうんかかんか理論しか出てこない。語尾も「であるからして〜」って、なんかロジカルなちょび髭の教授が憑依したよう。記憶の引き出しに鍵がかかっている感覚。仕事のタスクがポップコーンみたいに弾けて飛んで、こりゃあもうブログどころじゃなくなってしまう、メカわたしになってしまうと思ったので、今からカワウソの動画をYoutubeで見ます。本日のブログは店主ビジネス脳みそのため、臨時休業なのであるからして〜、

2月5日です間違いありません 〜飲み会〜

今日は東京雪でしたので、前々から予定されていた飲み会はきっと中止になって、なんなら危ないから早く帰りなさいみたいなムーブになるんだろうなぁと思っていて浮き足だっていました。気がついたら飲み屋に連れて行かれてました。この世に神はいないんだなって思いました。イエス・キリストは役立たずです。半地下の個室の飲み屋さんで、上司達が雪見酒ですね、なんて言ってるわけですよ。窓ないけどなぁって思いながら、りんごサワーを飲んでいました。でも生姜のスープのお鍋は大変おいしかったです。上司がずっとゴマだれが無いことに憤慨しておりましたので、その度にわたしはメニューに書いてある、当店の生姜スープへのこだわりについて朗読を行いまして、その瞬間は納得してくださるのですが、しばらくすると壊れたラジオみたいにぴーぴーとゴマだれを所望し始めますので、当店の生姜スープへのこだわりを説明させていただくのです。最後には!なんと!エクレアまで付いてきたのです。エクレアは偉いですね。天才ですね。人生の道しるべというか、ちゃんと正しい方向に導いてくれるんですよね。これ食べて、また人間頑張ろうって思えるんですよね。しかも!なんと!チョコクリームのエクレアなんですよね。流石のわたしも舌を巻きましたよ。カスタードもいいんですよ。でもチョコクリームになることで、人間の補正度が上がるんですよ。人間って人間のカタチすぐ忘れてしまいますからね。チョコクリームのエクレアはそれを綺麗に形どって補正するんです。形状記憶合金ならぬ形状記憶糖分なんです。大変おいしかったです。帰り際、2軒目行こうよーなんて言われましたがエクレア食べているので無敵なわたしは、絶対イヤですって即帰宅。最寄りに着くまでの30分間一心不乱にスマートフォンをたぷたぷたぷたぷしておりました。雪積もるといいなあ。小さな雪だるまを作りたいのです。

2月1日であろう 〜物語りが生まれるとき〜

久しぶりにゲームにハマっています。

パルワールドというゲームなのですが、非常にインテリジェンスに他社の大人気ゲームをパクられている豪胆な作りなのです。それでも愛らしいパルたちがブロイラーのようにコッココッコとひしめく光景は、パクリを超えた並行世界を構築し、わたしの琴線を引き裂くのに充分な加速度を有しておりました。パルたちはプログラミングされた世界で文字通り生きておりまして、生きることは物語りを生むことと同義なわけです。0と1の羅列が生み出す感情の機微。やっぱりゲームは人生の師だなって気付かされます。

わたしの拠点にいるタマコッコ。初めて来たときから、延々に木箱の上から動きません。他のパルたちが忙しそうに岩を砕いたり岩を砕いたり岩を砕いたりしているなか、こいつだけは全く動かず微動だにしません。火を見せても恐怖すら感じないのです。わたしのツッパニャンなんて、骨折しても岩を砕くのをやめないのに。もうやめてって、そんなになってまで働かなくても良いんだよって思っても、ぐにゃりと折れた腕でわたしのために岩を砕き続けるのです。ブラック企業って社長だけで作るんじゃ無いんだなって感慨深くなりました。ある日、拠点にエサ場を作ることになりました。みんな大好きな赤いベリーを詰め込んだ、立派な福利厚生施設なのです。このタマコッコは、エサ場ができた瞬間にいの一番にエサを食べ始めました。

わたしはこいつはもうだめだ、と思って、名前をごくつぶしにして可愛がることを決めました。ツッパニャンは未だに骨折していて、今日も悲しそうな顔で岩を砕いています。このグラデーションこそが、この陰陽こそが物語りだとわたしは思うのです。プログラミングの世界であっても生が出来てしまうこの事象は、なんだか素敵なものに感じてならないのです。面白いですよ、パルワールド。

 

 

1月31日であろう再び 〜短歌の日(短縮版)〜

言葉がふつふつと湧いては消える。サイダーの泡みたいだなぁ、と書こうとして、いや気取りすぎてるしありきたりな表現だな、と思って消すのですが事実サイダーの泡みたいに言葉がふつふつと湧いては消えるので、事実じゃんと思ってやっぱり書いた。このブログは事実で構成されているのです。しかし言葉ってやつぁ、本当ねこ🐈みたいに擦り寄ってくるくせに、欲しいときにはやっぱりねこ🐈みたいに自由に、優雅に、わたしの前から姿を消すのだ。いつか言葉の鍵尻尾にAppleタグを付けて、居場所を特定してやろうと思う。ふつふつふつふつ。まだ言葉は繋がらない。触れると弾ける。ぱちぱちぱちぱち。祝福するなよう、言葉の出ないわたしを。

というわけで、今日は短歌の日。泡なら泡のまま。

 

タイトル:あの子🐈

いとおしいのさ

プラチナねこは

おにぎりふたつ

トンカツひとつ

燦々と恋

 

 

1月31日であろう 〜会話劇〜

「最近ポエムを書くことにハマっててさ」

「へぇ、ポエム」

「そう、ポエム。乳首について唄うポエムなんだよね」

「わたしは新手のセクハラを受けてるの?」

「違うよ、全然セクシャルじゃあなくって、もっとアンフォメルでポエトリーなんだ」

「そうなんだ。アンフォメルなんだね」

「そう、とってもアヴァンギャルドなんだ」

「何のお話なんだっけか?」

「乳首ポエムを唄うお話だよ」

「なんだかアヴァンギャルドだね」

「でしょう?乳首はみんなに等しく付いているんだからね」

「セクハラだし、もう帰っていいかな」

「待って、実は乳首ポエムを書いて欲しいんだ」

「わたしに?」

「そう、キミに」

「乳首ポエムだなんて、考えたこともないよ」

「でしょう?良い経験になるよ。最先端のイデア・アートの最先端さ」

「乳首だけに?」

「わかってきたじゃあないか、じゃあ早速このコモドドラゴンの絵に乳首ポエムを添えて欲しいんだ」

「全然何を書いていいか分からないよ」

「アートだからね。キミの思うままで良いよ」

「そうなんだ」

 

「これで良いの?」

「キミは本当に天才だと思うよ。最高のポエムじゃないか」

 

全然嬉しくない。うそとほんとが乱反射する会話劇。

 

 

 

1月30日であろう 〜二律背反の恐怖とハッシュタグと〜

楽しいことは楽しい。頭痛が痛いのと同じくらいあたりまえの感情。でもわたしの「楽しい」の感情の裏には明確な恐怖がついてまわる。黒ごまくらいの小さな種だけど、そこにある以上はゼロではなくて、ああこれが楽しめなくなったとき、わたしは死ぬなあ、みたいな致死量をはらんだ恐怖なわけです。恐怖はスパイスなんだろうか。楽しいの中にツーンと辛いわさびみたいに、楽し味を引き立てているのだろうか。楽しいは純度100%楽しさで作られていて、それがエンタメの正しい在り方なのであれば、わさびを乗っけているのはやっぱりわたしなのだ。たぶんわたしはエンタメを信じきれていないんだろうなと思う。メンヘラ思考そのものだけど、わたしを楽しませていたエンタメはいつか勝手に知らない誰かの元へ旅立ってしまうと考えている。スマートフォンの充電器みたいに、100%充電されたら簡単に引っこ抜かれてしまう。それがわたしにとっての恐怖なのであれば、ぐうの音もでないほどメンヘラなのでこれくらいでDIVEはお終いにする。そしてパルワールドにハマるのだ。というかハマっているのだ。逃げるツッパニャンを松明で殴るゲームなのだ。嗚呼ツッパニャン嗚呼。世界にはわたしとツッパニャンのふたりだけで、だから構わないでおくれ恐怖さん。そんな綺麗事だと分かっているけども。なんたって、わさびを乗せているのはわたしだからね。

 

唐突にハッシュタグの使い方を思い出した。

まるで続編RPGで出てくる初代主人公みたいな弱体化。覚えていたはずじゃない、ハッシュタグの使い方!みたいな。久しぶりに湧き出るこの自己顕示欲と上手に付き合わなければならないね。