シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

5月9日であろう

ニートとは、無職とは、誰の何を指すのことばなのだろうか。わからない。でもわたしの中心には確かにそのことばたちがクリオネのようにふわふわと泳いでいる。でもやっぱりわからない。インターネットで調べても、わたしがニートなのか、無職なのかを教えてくれる文献は見つからなかった。わからない。村上春樹は昔、羊をめぐる冒険を執筆した。わたしは羊と鼠から、感情のるつぼを確かに学んだ。では誰が、わたしのなかのクリオネ達を、ニートを、無職を教えてくれるのだろうか。糖分が足りないのだろうか。考えことをするときは、美味しいドーナッツが必要なのだ。羊男も大好きだしね。


私はダックスフント公園まで散歩をして"あばら骨ベンチ"に腰掛ける。ダックスフント公園は近所にある妙に細長い公園であり、綺麗に剪定された短めの植木並びと、たまにぐにゃりと垂れた緑のカーテンがよりダックスフントのニュアンスを感じさせてくれる。ちょうど公園の真ん中あたりには、あばら骨みたいなアーチが組まれていて、むき出しのニートを陽気から守る。石で出来たベンチはひんやりとしている。あばら骨はきちんと機能している。私はコンビニで買ったドーナッツを頬張り、ドーナッツとニートの世界をつなぐ通り道のようなものについて考える。ニートの思考は常に一方通行で、穴から出ては霧散していく。ドーナッツは甘くて美味しい。わたしはニートなのだろうか?無職なのだろうか?それとも。


このブログはわたしの日常のなかにあるニートや無職と向き合い、足跡を辿るための手記です。


#日記