「だからあなたは、働きながらニートになればいいんだよ」
なるほど、とわたしは思った。
何がなるほど、なのかは自分でも分からないけれど、友人Aの言葉で妙な納得感を得てしまう。テトロミノで構成された、わたしだけの「ニート感」がパチパチと小気味良く積み上げられていって、答えに辿り着いたような錯覚に陥る。この陥る、というステータスもなんだかニート感にあっていて、カフェ・モカにパイの実の食べ合わせのように、奇跡的なマリアージュを生んだ。なるほど、とわたしは思った。
「ようは、精神的ニートってこと」
こころの在り方を友人Aは伝えてゆく。諭すように。テトロミノはニート感を超えてそのまま新しい世界観の構成に取り掛かり、わたしはやわらかな微熱を覚える。今なら超能力が使えるかも知れない。これは始まりにすぎない。精神的ニートという在り方が、わたしのプシュケーと合致して、脳内でニートのテーマが流れ始める。すると同時に、精神的ニートの疑問符が足下から浮かび上がる。わたしのこころは、一枚岩ではないみたいだ。精神的ニートの反抗勢力が投げかける。じゃあ、どうすれば?
「シーザーを理解するためにシーザーである必要はないし、ニートであるために、ニートである必要はないよ」
変わりに友人Aが答える。シーザーとは何のことなのだろうか?質問することも無粋な気がして、わたしは口を噤む。シーザーをメモ帳に記す。(後でシーザーを検索したけど、サラダのことしか分からなかった。)必要な部分だけをすくう。ニートであるために、ニートである必要はない。反抗勢力はキツネにつままれたようだ。大丈夫、わたしの反抗勢力。わたしもあんまりわかってないんだよ。でも、ニートと無職と の狭間にいるわたしには、こういう禅問答が必要なのだ。ニートと無職の足跡を辿る。向き合うって、こういうことなのだ。それだけは、はっきりとわかっている。
「それじゃあ、おやすみなさい」
ええ、また夜に。