シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

8月9日であろう 〜おいとま〜

なつやすみにはたくさんのことがあった。そのことを書こうかな、と思ってブログを開いたけど「甘栗」のふた文字で手が止まってしまう。書きたいことはたくさんあるけど、書けない。それとも、書きたくない?ちょっと考えて、きっとまだわたしの脳内はなつやすみなのだろうと思う。まだなつやすみなのだから、なつやすみを思い出して、ほくそ笑んで、アルバムを整理する必要がないんだろうな。既に日常がカンカン照りで降り注いでいるのに、なんとも夢心地である。ためしにリビングで踊ってみると、陽気なステップは全くもってなつやすみであることの証明であって、手にしたクイックルワイパーはフローリングを乱反射させ、わたしのなつやすみたる道筋を示すことに必至となる。飛んで、跳ねて、ブルーベリーみたいな色のザリガニに美味しいにぼしをあげようとしたとき、脱皮していることに気がつく。そこに気が付いた時、乳白色になったザリガニはそれはもうみるみる大きくなって、入堂雲みたいに日常のカンカン照りを覆い隠す。手に持ったにぼしを太陽で炙って、チョキチョキ上機嫌なつやすみを満喫しているようだ。頭に付けているカンカン帽が非常にうかれぽんち。ザリガニより生まれた日陰は涼しく、快適な陰の空間であるけどやっぱり日常の枠は抜け出せなくて、でもそれは心地よい諦めであり、人生のセーブポイントみたいなものであった。するとお腹が空いてくる。お腹が空くのは良いことだ。わたしには無限の選択肢があって、セーブポイントの安心感からか冒険がしてみたくなる。随分と迷って、散歩がてらに人生初の日高屋に来た。所謂、おひとり様というものである。お店に入るとおひとり様コンシェルジュの紳士に手を引かれ、おひとりさま席に案内された。タッチパネルでレバニラ定食を頼むと、とても大人な感じがした。おひとりさま席は秘密基地みたいに雑多であって、わたしはお腹が空いてくる。お腹が空くのは良いことだ。しばらくすると、バクダン炒め定食大盛りが配膳される。急に辛そうな爆弾が来たのでわたしが困惑していると、すみません間違えました、と持っていかれてしまった。非常においしそうな定食であったので、残念な気持ちになる。4分後にレバニラが来て、それは美味しいレバニラであった。おなかがいっぱいになった夏はまだまだ続く。セミの鳴き声がうるさい。帰りにコンビニでアイスも買おう。夏だからね、しょうがないね。