シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

9月5日であろう 〜努力する猫とPUMAのサコッシュ〜

猫をみょーんと長くして、マフラーみたいに巻いているおじさまがいた。たぶん何処ぞの王族なんだとお見受けします。猫はとてもリラックスした様子でみょーんとしている。ファッションとは自己の表現であって、時には寒い時期でも薄着をして、あっつい時期には厚着をして、そういう超個人的な良いベクトルの虚栄心の上に立っている美であるんだけども、いま我慢してるのはどちらかというとみょーんとしている猫ちゃんであって、ほんとうは水を掻く白鳥のような努力を課しているのではないかと心配になると、わたしの疑念に呼応するようにおじさまは胸ポケットからちゅーるを取り出してペロペロさせていて、これ資本主義だ!!ってなった。やっぱりご褒美のために生きているんだなわたしたち動物はと強く思う。わたしの頭の上に巣を作っているアグリーペンギンにも青々としたブルーベリーを差し上げるけれど、ペンギンは首を横に振り、トキシラズを要求するのである。代わりにブルーベリーを頬張り、頭の上のアグリーペンギンをあやし、今日は新しい会社用のカバンを探していた。柔らかいレザーでリュックサックで、アンコウくらいのサイズのちょうど良いやつを。途中、危うくセカンド冷凍庫を買うところであったけど、ギリギリ耐えて最終的に小さなサコッシュを買った。完全なる一目惚れの完敗であった。お財布とワイヤレスイヤホンとエコバッグくらいしか入らない小さなサコッシュ。よく見るとPUMAなのが大変可愛らしい。わたしは満足した。わたしはとても満足した。新しいサコッシュを持って出掛ける想像をしたとき、頬を撫でる風が心地よいことに気がつく。それはしあわせな気づきで、新しいサコッシュがもたらした気づきであった。