シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

10月8と9日であろう 〜人間との自然な距離感〜

結局キャンプに行った。うらめしそうに予約キャンセルしたキャンプ場の天気を見ていたら、土日なら雨が降らない予報に変わっていたのです。でも自分から予約キャンセルしたキャンプ場の天気を欠かさずチェックしていて、天気が晴れだと分かったとたんに再度予約するだなんてとんだメンヘラストーカーではないかと思い直し、でもやっぱり行きたいなあという感情の破壊と再生を100万回繰り返して、やっぱり行こう!となった。幸いキャンプごっこはする予定だったので、準備自体は出来ている。ウキウキで寝ようとして、こりゃ明日が楽しみすぎて寝られませんなぁファファファと思った瞬間には寝た。

 

キャンプ場には人間しかいなかった。見渡す限り人。なんとなく、小鳥のさえずりとししおどしみたいにカコーンと薪を切る音がカレーを煮炊きするぐつぐつとアンサンブルする領域だと思い込んでいたけど、東京の我が家よりも隣人との距離感が近かった。キャンプ初心者なので人が多いことに安心しつつも、人間に疲れてここまで来たはずなのに結局人間がいる事に安堵するわたしは、こういう牧歌的な人恋しさを求めていたのかも知れないという二律背反。なんというか、普段の人間社会よりも当たり前にオープンな環境なんだけど、みんな8×8mの空間で完結していて干渉されてない。都会よりも関係が希薄で、でもみんな生き生きとしていて何だか居心地が良い。そして管理棟で売っていた飲むヨーグルトが本当に美味しかった。それだけでこのキャンプは正解だったと思う。

 

でも隣りのサイトの家族にはうんざりした。ずっと奥さんが文句を言っている。なんでこんなテントにしたんだ、手際が悪い、他の家族はもう終わってるじゃんと罵り、子供たちにもずっと邪魔するなとかキレ散らかしていた。何しに来たんだよ、と思う。ばかたれ!みんなすっごいつまんなそうにしてて、これじゃあ陰気が伝染してしまうと思って離れた場所でずっと遊んでいた。子ども達は、飲むヨーグルトと一緒に買った竹とんぼを大いに気に入って、ずっと遊んでいた。回して飛ばす。究極にシンプルなおもちゃはエンタメの完成形であって、ニンテンドーSwitchとは対極の位置にあるはずなのに、息子の心を掴んで離さない。下の子に関しては、もはやただのスロープでずっと笑いながら走り回っており、わたしも子どもの頃は走っているだけで笑い転げていたなぁと気づく。時代の流れでもエンタメの在り方は変わっていなくて、むしろ君臨していた。竹とんぼもだだっ広い原っぱにあるスロープも、ずっとエンタメの玉座で気付かれるのを待っていたのだ。

 

ご飯どきになって自分のテントに帰ると、隣りの家族がご飯を食べながらキレ散らかしていて笑ってしまった。もう本当なんなんだよという気持ちと、これもキャンプの正解なんだろうかと思えるくらし清々しく、風の吹くままにキレ散らかすスタイルは自由の象徴であった。キャンプ場では星が凄く綺麗に見えていて、温かいココアを入れると月に雲がかかったように見える。でもやっぱりうるさかった記憶が勝っているように思えるので、無理に思い出まで綺麗にする必要はないね。本当にうるさかった。迷惑だった。それでも、キャンプは楽しかった。