シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

11月18日であろう  〜肉の食べ方を忘れた人たち〜

お久しぶりです。

本業がひじょうにたいへんすごく忙しくて、文章とわたしの人格が混ざり合ってバターになってしまうことを無意識に避けていたのか、ブログのことをすっかり忘れてしまっていた。

でも、きちんとココを思い出して、お久しぶりです。なんて、おしゃまに畏まった挨拶をすると、私の中でそういう儀式が必要だったのかと思ったりもする。人の精神構造はなんともラビリンス。自分を書き残す旅は、これからもゆるうく続くのであります。

 

このお肉はどうやって召しあがるのかしら?

物干し竿みたいな祭壇に干されたキュウリブタを前にして、思わずマリーアントワネットみたいな口調になる。上品な口調とは裏腹、肉が吊り下がるという原始的な情景は、私の食欲テクスチャをすっかりハイエナさんの様相に書き換えて、聞かれてもいないお腹の音を恥じらうグラデーションと混ざり合う。2種のソースに使われる果実についての情報は、もはやわたしの肉欲の泉に波紋をたてるだけの加速度は持ち合わせておらず、ただこの吊るされたキュウリブタをどう召しあがれば良いのかそればかりが気になっていると、それを見透かした店員さんはただ一言「ご自由にお召し上がりください」と添えて脱兎。その瞬間、わたしの心には風が吹いて、そうか自由か。お肉を食べるという行為に作法なんてないことが作法であることを思い出した。いつからわたしはお肉を食べることに作法を求めるようになったんだろう。オトナになったわたしは、お肉に対する作法を手に入れた代わりに、お肉の食べ方を忘れてしまった。これがミイラ取りがミイラになるってことかぁと確信にも似た気付きを得て、わたしの全てがひとつのところへ還ってゆく。トリップしたわたしを現実に引き戻す声は、「このソース、かけちゃって良い?」であって、いやそれは違うでしょう作法がお肉に対する作法がなんにもなってないなと思った。美味しかった。帰りに肉まんをお土産にいただいた。

 

私事ですが、はてなブログ様の日記本に掲載されることとなりました。やったね。せっかくなので、日記祭にも行きたいと思います。