シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

6月9日であろう 〜きらきら〜

日記なのだから、当日の「できごと」を書いて然るべきなのかもしれない。そっちの方が、なんとなく生きている。文書に血が通っている。けれど新鮮な「できごと」を調理するのではなく、記憶の冷蔵庫から冷やっこい「上野」を取り出す。上野はまだ霜が付いておらずつるつるとしていて気持ちが良く、わたしは安堵感を覚える。だから、目を閉じる。五感の一つを閉じて始める追憶の旅。わたしの上野の追憶の旅。

 

 

上野動物園では、長い足でヘビを踏みつける鳥が飼育されている。長い足でヘビを踏みつける鳥は、ヘビだけじゃなくて小型の哺乳類や昆虫など幅広い動物をその長い足で踏みつけるらしい。長い足でヘビを踏みつける鳥は、まるでバレリーナの様に舞い散らかす。そこにはぴん、と張りつめた美しさがあった。隣にいたカップルが、長い足で踏みつけるなんてSM嬢みたいだね?とか、こんど踏みつけてあげようか?とか言っている。そこには長い足でヘビを踏みつける何かが飼育されていた。ちょっとムラムラした。

 

 

記憶が、が、ザザザ。

上野動物園の中にはフードコートがあって、そこではソフトクリームを食べた。大変美味しいソフトクリームであった。我が子はソフトクリームを食べる前に見たサル山がたいそう気に入ったらしく、ソフトクリームをサル山のカタチに整えていた。そうこうしている間にソフトクリームはどんどん溶けていって、陽の光でキラキラしていた。そこには、さっきまで見ていたサル山とおんなじものがキラキラしていた。

 

 

ザザ。ザザザ。記憶ザ。

みんなでゴリラの銅像と写真を撮った。触れたら、あっつ!ってなった。小さなゴリラの銅像とも写真を撮った。触れたらあっつかった。小さいのにあっつかった。あっつかった。

 

 

 

ザーザー奥へ。ザザザン奥へ。ザ憶。

国立化学博物館でやっている、宝石展に行った。

 

hoseki-ten.jp

 

 

宝石展で感じたのは、美に対する敬意。人間のがんばり。宝石の原石は、お世辞にも綺麗とは言いがたい。少なくともキラキラはしていなかった。人間はそれを、ずっとキラキラさせるために思考を止めなかった。洗面器いっぱいの宇宙から、砂粒から、キラキラしたものを探し続けていたのだわたしが知らない間に。より強い光を求めて夜を超えてきたのだ。そしたら急に宝石自体が宇宙の構造をしていることに気が付く。モンキーテーブルクロックは、宇宙をサル型に切り取ったような美だった。サルの体内には金で出来た美の器官があって、人間には無いものだけど、これを美と認識できるならわたしの身体のなかにも何かしらの金で出来た、これら宇宙モンキーの信号を受け取る器官があるのかも知れない。そう考えると不思議なことに、あと貯金が800億万円増えたら欲しいなぁ、と思った瞬間に金色の宇宙モンキー器官は輝きを無くした曇天の拡がりを見せて、やっぱり宇宙は手が届かないからこそ、宇宙らしさがあるよなぁと思ったら、宇宙モンキー器官の輝きが復活してキラキラの様相を見せる。宝石は生きていたのだ。永遠ではなかったのだ。人が永遠でないのだから。あと、全ての展示を見終わった後のミュージアムショップが素晴らしかった。わたしでも手の届くキラキラ達であったので、Gemと書かれた古文書チックなパンフレットと、我が子にサラマンダーのピンバッジを購入した。最後までサラマンダーとボールペンで迷っていた。迷いまで、キラキラしていたように思える。

 

 

ザザザザザザザザザザザザザ。

目を空ける。手に持っていた上野はいつの間にか溶けてなくなっていた。その代わり、わたしの体のどこかに、キラキラしたものが宿った気がした。