シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

2月1日であろう 〜物語りが生まれるとき〜

久しぶりにゲームにハマっています。

パルワールドというゲームなのですが、非常にインテリジェンスに他社の大人気ゲームをパクられている豪胆な作りなのです。それでも愛らしいパルたちがブロイラーのようにコッココッコとひしめく光景は、パクリを超えた並行世界を構築し、わたしの琴線を引き裂くのに充分な加速度を有しておりました。パルたちはプログラミングされた世界で文字通り生きておりまして、生きることは物語りを生むことと同義なわけです。0と1の羅列が生み出す感情の機微。やっぱりゲームは人生の師だなって気付かされます。

わたしの拠点にいるタマコッコ。初めて来たときから、延々に木箱の上から動きません。他のパルたちが忙しそうに岩を砕いたり岩を砕いたり岩を砕いたりしているなか、こいつだけは全く動かず微動だにしません。火を見せても恐怖すら感じないのです。わたしのツッパニャンなんて、骨折しても岩を砕くのをやめないのに。もうやめてって、そんなになってまで働かなくても良いんだよって思っても、ぐにゃりと折れた腕でわたしのために岩を砕き続けるのです。ブラック企業って社長だけで作るんじゃ無いんだなって感慨深くなりました。ある日、拠点にエサ場を作ることになりました。みんな大好きな赤いベリーを詰め込んだ、立派な福利厚生施設なのです。このタマコッコは、エサ場ができた瞬間にいの一番にエサを食べ始めました。

わたしはこいつはもうだめだ、と思って、名前をごくつぶしにして可愛がることを決めました。ツッパニャンは未だに骨折していて、今日も悲しそうな顔で岩を砕いています。このグラデーションこそが、この陰陽こそが物語りだとわたしは思うのです。プログラミングの世界であっても生が出来てしまうこの事象は、なんだか素敵なものに感じてならないのです。面白いですよ、パルワールド。