シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

6月15日であろう 〜ペンギンのゆくえ〜

子どもがマインクラフトというゲームをしていた。レゴブロックみたいに世界を想像するゲームで、せっせと牧場みたいなものを作っている。どんな牧場を作っているのか聞いてみたところ、人間牧場を作っているらしい。牧場の柵にはスイッチが設けられており、押すと火矢が発射される仕組みで、悪いどろぼうが来たときに作動させるらしい。その説明のあいだに、無実の3人が火矢で死んだ。


これは良くない!と思った。わたしが知らぬ間に、我が子は独自のイカゲームを構築しているではないか!この世界観は20年早い。まっとうな道へ導かねばならない。我が子にはまだ、人間社会を構築するものが愛であると信じていて欲しい。とりあえず今度の休みには牧場に連れて行こうと思い、まずは一緒に本屋に行くことにした。くまさんがホットケーキを食べるような絵本で教育が必要だと思った。全てが愛のピクチャーアートみたいなやつ。
 
駅前のちいさな本屋に着く。くまさんがみんなと仲良くホットケーキを食べる絵本はどこだろうか。くまさんがみんなで仲良くホットケーキを食べる絵本がないと、我が子は道を誤ってしまう。ふがふがした使命感で探していると、子どもが一冊の本を小脇に抱えて、これが欲しいと言って来た。それは小学1年生用の国語ドリルだった。ページをめぐると、シールが沢山ついていて、問題をクリアすると貰えるルールらしい。なるほど、勉強。あまり熱心に勉強を教えたことはないけれど、本人がやる気なのはとても良い行いだし、何よりシールが欲しいという動機が可愛らしいので、買ってあげることにした。
 
家に帰って早速お勉強をする。子どもからすると、テレビゲームも国語ドリルも同じわくわくで善の存在だった。すらすらと解き進めて、カタカナの問題にたどり着く。ひらがなで書かれた「ぺんぎん」の下には四つの空白があって、カタカナに変換した文字をそこに記入する問題のようだ。我が子は悩んだ結果、ぺんぎんの下の空白に「をかえす」と書いた。ぺんぎんをかえす。何処に返すのだろうか。それとも孵化だろうか。急に足元からぺんぎんの暮らす氷山が激しい地鳴りと共に隆起し、わたしのフィールドを容易く書き換える。間も無くぺんぎんの奔流が現実とのチャネルを切断して、吹き荒れるほどの愛愛愛愛あい愛。言語は全てぺんぎんとなって、ガァガァとがなることだけが真実で正解な気がして、ぺちぺちと音を立てて前を歩くひかりが最大到達点と交わった時、ぺんぎんは世界観と確かにひとつになった。あらゆるものが簡素化されて、ぺんぎんだけがそこにはあった。わたしは震える声で、なんでかえすの?とこどもにきくと、だってかわいそうじゃないとかたなをかえされて、そうだこのこのなかではすでにせかいかんができあがっているのかとりかいし、うーってなってわたしはしんだ。