シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

6月7日であろう 〜お題に気付かされた日〜

今週のお題「夏物出し」

 

子どもが産まれてからというもの、夏には田舎に帰ることが我が家の風習になっていた。それまでは、自分の予定を優先させていたので、少なくとも毎年決まった時期に帰省することは無かったように思える。特に実親と仲が悪かったという訳ではないけど、「子はかすがい」という言葉は夫婦間だけではなく、親子の間も取り持つ言葉なのかも知れない。ドアを開けた時の両親の笑顔と、照れ臭そうにちいさく挨拶をする我が子の距離感は確かに愛と呼ばれるもので、その距離感は、わたしと両親の積み重ねて来た弛み無いアンサーのように思える。

 

せっかくの帰省なので、着るものは親子ともに気を使う。普段から子どもの洋服は買い足してあげているつもりですが、我が子なりにお気に入りのコーデが決まっているらしく、同じパターンの着回しが多い。パンツなんかも「8部丈くらいがオシャレなんだよ」と教えてあげると、去年に履いていたお気に入りのミドリムシ柄のパンツがつんつるてんになっても、8部丈だと言い張って履いている。身長が大器晩成型なのか、Tシャツなんかも去年のものが着れてしまって、家計的にはありがたいような、けれど少し淋しいような複雑な気持ちになるのだけれど、本人はたいそう満足気だ。

 

そんな状態で帰省するもんだから、孫を不憫に思ったわたしの母親が張り切って我が子に新しい服を買い与えてくれて、よく考えたらこれが我が家の「夏物出し」に当たるのかと気付かされた。お題って凄いね。お陰様で、子どもの夏物には全く困らなくて、帰る頃には全身着回しコーデが5パターンくらいは完成してしまい、激動の保育園生活1週間が乗りきれてしまう。母親も子供服を買うときは本当にイキイキとしていて、最初は申し訳ない気持ちもあったけど、こんな形の親孝行もあるだろうと今では勝手に納得している。今年の夏は親子コーデを言い訳にして、是非わたしの分も「夏物出し」をして頂きたいものだ。