シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

9月25日であろう特別編 〜美しい死〜

わたしの実家は中途半端な田舎でして、3泊4日の帰省ツアーをしておりました。中途半端な田舎の何が良いかって、住宅街でクルマも通らなければニンゲンも歩いていない。周りの家には確かにニンゲンが住んでいるんだろうけれど、おおよそ生の気配が感じられない。いつも閉まっているラーメン屋さん、29年間歳をとらない近所の鯉。みずのあぶく。鳥と、草はなと、雲の息づかいしか聞こえないけれど、確かに根付く文明社会が何だか途轍もなく荒廃した世界観で、SFチックな舌触りなのである。だあれも居ない。家の前に出て、新鮮なSFの世界を味わう。地元の天然水を使った瓶サイダーを飲みながら観る入道雲は、チーズとワインみたいな美味しいマリアージュであって、わたしの東京で作られた人としての輪郭を曖昧なものに変えていった。ここは人よりもニンゲンの方がしっくりくる。実家から歩いて3分のところにある小さな公園まで、あたりまえのようにニンゲンは居なくって、公園にはトンボだけが生きていた。我が子はジジとチャーちゃんと家の中で遊んでいるわけで、わたしはひとり、ブランコに腰掛けてサイダーの続きを楽しむ。なんていうか、本当にひとりなんだなぁ。田舎は贅沢だね。ニンゲンに明け渡してない静謐さがあります。すると静謐さを縫ってチュンチュンと鳥の声が聞こえる。チュンチュンですって!チュンチュンなんて、何年ぶりに書いただろうか。チュンチュンは都会には無縁で、それはわたしの住んでいる東京が異常なのか、はたまたわたしの住んでいたこの中途半端な田舎の奇跡なのか分からない。ゆるやかに死んでいくこの場所を、初めて綺麗だと思えた。