シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

1月18日であろう 〜歩くような速さで〜

というわけで、日記を再開したわけですが、何にせよ大層な空白期間があるわけで、まずはリハビリなわけですよ。でも文章を書くリハビリなんて文章を書くしかないわけで、わたしの心の中にいる大文豪先生が、ただひとこと「書け」と叱咤激励しており、天邪鬼なわたしの本体は、書けと言われたら書く気失いますよ?と、子供じみた交渉を行うも、空虚なお芝居は真冬の放射冷却をよりビビットにするだけであって、静謐な無。わたしは一息で世界をリセットすると、また歩き始めるのです。目的地のないお散歩。秋のどんぐりみたいに、そこら中に落ちているいい感じの言葉を拾っては、磨いて、湯掻いて、調理して。ああ、わたしの1日の始まりってこうだったなぁと懐かしむ余裕が生まれる。何かの記事で、ブログを始めるなら日記ブログはやめた方が良い、なぜならつまらないしあなたは無名で文章に何の価値も無いからです、と書いてあった。わたしは、確かに。とすんなり納得した。したんだけど、ちくりとした胸のうずきはわたしの真実を物語る熱量を有しており、わたしはこの事象に「はんこつしん」と名前をつけて、それは貴方がつまらないだけじゃあないか、と思うだけ。思うだけ。名前をつけただけ。でもやっぱり道端に落ちてるいい感じのどんぐりは素敵にひかりで、ひかりそのもので、ブログにはおかえりと言ってくれる方がいて、わたしは当たり前に少し幸せだった。それならばまた歩き出せるわけで、でも心に住まう大文豪先生は書けとがなるだけで何もしてくれない。ヨクカケールとか、なんかそういうマジックアイテムの差し入れはないものなのか。