シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

9月21日であろう(閑話休題)

ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。

 

わたしの豆カンも古くなってきたし、ここらで新しい豆カン、すなわち新スーパー黒豆カンに切り替えようかなぁ!と思ったけども、まだまだわたしの豆カンも現役だし、そんな高性能な新スーパー黒豆カンは使いこなせないよなって思ったけども、でもなぁ、新スーパー黒豆カンってイイよなぁ。新スーパー黒豆カンを持っている生活を想像したら最先端の「よさみ」が体中を駆け巡る。新スーパー黒豆カンを買いました!使用感レビューブログを書けるなら、こんなもん安いものなのか?いやでもなぁ、お給料もらったばかりで急に新スーパー黒豆カンってちょっとうかれぽんち!わたしは普通の豆カンでまだ充分だよね。そう自分に言い聞かせて、うしろ髪引かれて、新スーパー黒豆カンを買わずにチーズ蒸しケーキを買う。新スーパー黒豆カンがなんぼのもんじゃい。もんじゃ。モンジャラ

9月20日であろう 〜飲酒の日〜

仕事に行く前にジンジャエールをクイっと飲もうとしたら間違えて白ワインを飲んでしまってむせました。朝から飲酒だなんてすげぃロックンロール!って思ったのがこの日のスタートであり最高到達点でありました。電車に飛び乗ってブログを書き、無味無臭のお仕事を片付け、お昼にはお手製のお弁当を食べて、午後にはやっぱり無味無臭の仕事とzoom会議をこなし、顔あわせですと聞いていたのでカメラをONにしていたのだけどわたし以外全員カメラがOFFで、デジタル赤面してしまう。この頬の赤らみも0と1の信号で出来た羞恥心に彩られているのだなぁと感じて、とりあえずわたしだけカメラをONにして話し続けた。わたしは立派な社会人味を手に入れた気がした。夜になって、後輩の子が寿退社するので1時間だけ送別会に参加した。この子は生粋の田中キラーで、今までお付き合いした人はみんな田中性であり、より条件のよい田中が居たので3年お付き合いした田中をあっさりと切り捨て、当時別の彼女がいた田中を略奪して結婚に至ったらしい。彼女は強欲らしく、私は富と名声が大好きなんですよ!と、ワンピースのゴールドロジャーみたいなことを言い出して笑っていた。そうして皮肉にも田中性になった彼女に対して、わたしはミイラ取りがミイラになるって、きっとこういうことなんだね、と賢ぶった賛辞を与え、一緒に綺麗に田中の字を書く練習をした。久しぶりに飲んだハイボールはそば茶みたいな味がして、店員さんにそば茶みたいな味がするんですけど、と伝えると「それ、そば茶です」と言われてこれそば茶じゃん!となった。そば茶は美味しい。わたしのハイボールは田中性の田中キラーがしっかり飲んでいて、全方位にダイヤの指輪を煌めかせており、ジョッキの水滴までなんだか綺麗だった。帰り側、私も先輩みたいに幸せになります!と言われた。わたしも大概しあわせなので、他人から言われるとこそばゆい。しっかり生きて、幸せになってね、田中キラー。

9月19日であろう 〜夢うつつの幻〜

トイレに行く夢をみてガバッと起き上がり、あぁ助かった、夢の中でトイレに行く夢を見るだなんて危うくお漏らしをするところだったぁと思ってトイレに行ったところでまたガバッと起きる。どうやら、トイレに行く夢を見て危機一髪の夢を見たようだ。夢がループしている。今は夢?それとも現実?ぼうこうだけが真実を物語っており、おそるおそるトイレに入ってもガバッとならないのでたぶん大丈夫であろう。

しかし、我ながらけったいな夢を見たと思う。まだ油断はできない。これは夢かもしれない。現実のわたしは排泄物の海で健やかなる惰眠を貪っているかもしれない。これが夢かもしれないなら、今のうちに楽しいことをしておかないともったいない。ディズニーランドに来て、アトラクションに乗らない愚行をおかすわけにはいかないのだ。時刻は朝の6時。子どもたちはまだ寝ていて、ふくふくのほっぺたがすうすうと寝息を立てている。夢の中でも台風の影響でごうごうと雨が降っており、もしかしてこれがトイレの暗示なのかもしれない。とりあえず夢なので、勢いに任せよう。スマートフォンを取り出して、一度行ってみたかったファミリー向けキャンプ場を予約してみた。ちなみに我が家にはキャンプ道具は一切ない。退路を断つことで、テントだったり寝袋だったりを買わないと野宿になってしまう状況を作り上げることが大事なのだ。いやキャンプは野宿なんだけどね。オシャレなワンポールテントとオシャレなランタンとかわいいクマ柄の寝袋を買いまくる。現実にやってしまったら説教対象なんだけど、夢だから豪気に楽しめる。次に朝ごはんを豪華にしようと思って、ホタテを焼いた。朝ごはんからホタテは絶対に焼かない。だれかのお土産でもらった小さな小瓶に入ったキャビアも乗せると超オシャレホタテソテーが出来上がる。調子に乗ってフレンチトーストとトマトのカプレーゼも作る。カプ繋がりでカプチーノも淹れる。

なんて素晴らしい夢の朝なのだろう。どうやらキャンプ道具も金曜日には届くらしい。家族が起きてきて、食卓の仕上がりにおののく。さて、薄々夢ではないと気がついていたけれど、どう言い訳をしようかな。わたしの気分とはうらはら、外はごうごうと雨模様であった。

9月15日であろう(閑話休題)

ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。

 

こんなダルメシアンもいるんだね。人型のダルメシアンは、犬型のダルメシアンよりも随分とお値打ち価格であった。よく見たらダルメシアンじゃないように見えないような、、、でもそんなわけないか。これはダルメシアンだ。

9月14日であろう 〜とげとげタマシー〜

子どもがお絵かきにハマっている。画用紙いっぱいに機関車トーマスの絵を描いていて、上手にトーマス描けてるね、と言うと我が子は「違うよ、これはタマシイだよ」と答える。わたしは「ほぅ」と唸り声。急に人生の果てにある哲学の話をされて、ほぅしか出ないオトナのわたしの、お菓子の包装紙のような薄っぺらい人生観はひどく軽薄であり、それでも山を越え谷を越えてきたわたしの人生は包装紙に包まれたパイの実のようにでっぷりとした恒星であり、タマシイを描いている我が子の太陽系を構成するための、くるくる回る惑星なのだった。トーマスと呼ばれていたはずのタマシイは、確かにトーマスでもあってタマシイでもあった。どちらも同じくらい同じで、同じ質量の価値であった。もう我が子は「そこ」にたどり着いたのかと思うと、たいそう我が子はビッグバンである。トーマス=タマシイを描きあげるた我が子は、タマシイにトゲを生やし始める。わたしは「ほぅ」と唸り声。そうなのだ、タマシイにはトゲが生えるものなのだ。タマシイは純粋だから、純粋なものは基本的に鋭利なのだ。闇も光もすべからずそういうカタチになっているから人に刺さるわけで、原初の美しさであることをみんな最初から解っているはずだったんだ。でも人間はそれを隠してしまうから。もしくは、すっとぼけてしまうから。トーマスはタマシイで、それにはトゲが生えていないように振る舞うから。とりあえず額を買おう。このタマシイをリビングからいちばん見えるところに飾ろう。そう思っていると、我が子は「これトーマスじゃない!間違えてトゲ描いちゃった!」と叫んで現実に帰ってきた。そうなんだよ、トーマスにはトゲなんて生えてないんだよ。そもそもタマシイじゃないんだよ。トーマスなんだよ。タマシイってなんなんだよ。とりあえず、額は買おうと思います。飾ります。

9月13日であろう 〜心のさび〜

つかれた。

疲れはわたしの身体から色々なものを掠奪し、精神の自由に干渉する。最初はあいをうばわれた。あいを奪われたわたしは、コーヒーショップでちょっと高いカフェモカを飲んでも、本屋さんで夢枕獏の「仰天・俳句噺」を購入しても琴線は揺れず。琴線はやっぱり感情をならす弦楽器で、あいが弾き語っているのだね。あい居ないと何もできないじゃん、と思って連絡先を探すけどわたしはあいの連絡先を知らないのだ。自分のあいなのに、あいについてこれっぽっちもわかっていない。パイの実が64層でサクサク美味しいのはわかるのに、あいはついてはわからないのだ。それもこれも疲れが悪い。疲れは色々な良くないことを気づかせる。なんてお節介なやつなのだ。その瞬間、あいが使うはずの琴線は怒りがジャンガジャンガ弾き鳴らす。琴線はそんな風に引くんじゃありません。凛として時雨みたいに弾き鳴らすサディスティック。するとたちまちわたしは怒り、目が赤くなり、獣のような咆哮を上げてハンバーグを焼き上げる。浴槽にバスボムを入れる。エガちゃんを見る。眠るときに、手をつなぐ。最後はちょっとだけあい、

9月11日であろう 〜パンの住処〜

小麦には神さまが宿っている。

お米一粒にも7人の神さまがぎゅうぎゅうにシェアライスしていますが、小麦にもたくさんの神さまが住んでいて、その中でもいちばん権力があり、高待遇なひとり部屋を確保されているのが大麦神の「でるめる様」であります。

でるめる様は、特にパンに対する待遇を向上させるためのパン労働組合を立ち上げておりまして、我が家におかれましても、パンをオーブンで温めた時によりふっくらとさせたいから、パンスチーマーを買ってたもれ〜、とおじゃる丸みたいな語尾で要求してきます。陶器で出来た食パン型のパンスチーマーは、水に浸けてオーブンに入れると蒸気を放ち、パン達のお肌がカサカサにならないようにケアしてくれるのだ。でるめる様は、初めてパンスチーマーが導入された日のことを今でも他の同居麦に自慢げに語っていて、その度にたいこ持ちである下級麦神たちはでるめる様の肌のハリやツヤを大いに褒め称えて、その光景を吟遊詩麦がオーツ麦で出来た立琴で唄い、神話へと昇華させるのだ。

いつもの朝、いつものようにホットケーキを食べていると、でるめる様が4畳半の自室からのそのそと起きてくる。またお気に入りの韓国系パンドルの配信でも見ていたのだろう。フランスパンの抱き枕を抱えたまま、眠けまなこで開口いちばん「のうシュレティンガー無職や、そちも有職になったことじゃし、そろそろパン達にももっとオシャレで大きな部屋を与えておくれ。」と申し上げるのです。でるめる様、わたくしもそう思っていたのです。オシャレなブレッドケースが欲しいのです。もう100均のカゴにパンを入れるのは我慢ならないのです。でるめる様と硬い握手を交わし、わたしはブレッドケースを探す旅に出ました。

加工しすぎてよく分からなくなったブレッドケース。パン達の新しい住処です。快適なのか、キャハー!と、でるめる様の叫び声が聞こえます。朝のパン生活が少し優雅になった気がしました。