シュレティンガ―・無職

私は無職なのか、それとも。

1月29日であろう 〜圧迫鍋卓〜

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

最近、圧力鍋を買いました。

たまにチャーシューだとか角煮だとか何らかの塊肉を煮込んだ時、我が家の食卓で決まった話題として、圧力鍋があったらもっとほろほろになるのかなぁ、という会話がある。でも決して、圧力鍋を買おうとかそういうお話にはならず、季節の時候というか、今日はいちだんと寒いねえ、といった感覚の共有みたいな話題。そうだねえ、きっとほろほろだねえって名前だけ知ってるあこがれの先輩みたいなほろほろさんに想いを馳せるものの、圧力鍋が我が家にくることは無かったのですが、家電量販店に買い物に行ったとき、何かのスイッチが入ったのか、はたまた月の導きか、ついでに圧力鍋も買っていくか、なんてことになった感情のジェットコースター。あれよあれよと圧力鍋がよりどりみどりの圧力鍋が、が、が、が。意識を失い、気がつくと我が家のキッチン。焦点の合わないぼやけた世界がクリアになっていく楽しさ。とうとう圧力鍋が我が家に来たのだ。

早速説明書通りに角煮を作ってみる。たしかにレシピは説明書なんだろうけど、角煮の説明書って書かれると非常にケミカルで心配になる。せっかくなのでお肉屋さんで塊肉を買いまして、説明書通りの材料と調味料、そして圧力の時間。時間。時間。全く圧力がかかっているように見えないけど、説明書通りに、あたりまえに、想像通りの角煮ができた。びっくりした点は、想像以上に美味しいということだ。お肉がほろほろなのである。ほろほろって貴方だったのね。はじめまして。想像以上に、素敵な方ね。

1月26日であろう 〜パルワールドのうた〜

久しぶりにゲームしたい願望が強いので、歌います。

嗚呼〜パルワールドがしたい〜♪

嗚呼〜パルワールドがしたい〜♪

みんなは〜ポケモンのパクリ〜だって、いうけど〜ポケモンは〜たくさんいる〜か〜ら〜しょうがない〜じゃん〜♪

わたしは〜キャプペンが好き〜♪

ちいさきものが〜もぞもぞ動くのが〜好き〜♪

やりたい〜けれ〜ど〜パソコンがないの〜♪

調べたら〜xboxというやつでも動く〜みたいで〜

近くのGEOに行ったら〜置いてなくてさ〜店員さんにも聞いたら〜「xboxって何ですか?」って言われた〜〜よ〜〜〜♪

知らん〜わたしも知らん〜♪

xboxは〜ま〜ぼろ〜し〜〜♪

嗚呼〜パルワールド、嗚呼〜♪

xboxは〜アマゾンで〜〜買っても〜ら〜うよ♪

他にも〜楽しい〜ゲームが〜あれば良いな〜♪

1月24日であろう 〜切り札〜

前の会社の先輩に急に飲みに誘われて、丁重にお断りしたら丁重にためにならないお説教を交えた追撃のお誘いが来て、いぬも食べないような押し問答が続いたのであった。ここまで美しいモラハラをするのであれば逆に面白いかも知れない、と思って飲みに行くことにしたのですが、行ったこともないような駅で待ち合わせを指定されて、すぐに後悔した。遠すぎるよ。

当日、1年ぶりくらいに合う先輩と社会人たる儀式的な季節の時候を交えたウェットな挨拶を済ませて、オシャレな居酒屋に連れていって貰った。何でも好きなものを食べなさい、と言われたので、牛タンビーフシチューを2つ頼んだら笑われた。俺はそんなにお腹空いてないから2人分頼まなくてもいいよ、と言われたんだけど、全部自分で食べるんだけどなぁと思って注文しているわけで、行き場のなくなった言葉達は全部愛想笑いに変換された。乾杯。季節の時候。仕事の話。おっぱいの話。先輩はビーフシチューを美味い美味いと言って一皿平らげて、わたしは明確な敵意を持って、ビーフシチューおかわり下さいと店員さんを呼んだ。先輩は笑っていた。1時間半くらい飲んで、そろそろ次のお店に行こう、と言われたので丁重にお断りした。先輩は、オーセンティックなBARだよ?って、まるで切り札みたいにいうもんだから、笑ってしまった。もう少し酔っていたら、着いて行ったかも知れないな。

1月23日であろう 〜お腹いたいの術〜

今週のお題「急に休みになったら」

 

何が言いたいかというと、まあまあオトナなわたしは急な休みだって作れるのだ。昔見たニンジャのアニメみたいに、こう指をしゃしゃしゃーってして、土煙が舞って稲光が鳴ってオトナにスマートに「休み」がぼわんと産まれる。わたしはこの術の名前に、忍法おなか痛いの術と名付けた。要は、めちゃくちゃ迫真の演技で上長に電話してお休みをもぎ取るわけですが、白鳥が水の中をかくように、当人の努力(忍法)なんて外の世界には見えないものなのです。大事なのは、わたし今日は元からお休みですよ?そんな忍法なんて使ってませんよ?なんて仕草でしゃなりしゃなりと休みを謳歌することなんだと思う。

そういうお休みに限って、特にやることはない。ふらっとユニクロに行って、スタバでカフェモカを飲んで、帰りのスーパーでちょっと良いドレッシングを買って、そんなあたりまえの日常。人によっては所謂「もったいない休日」に見えるかも知れないですが、日常を休日にやると全部ビビットになるのです。ちょっと景色の色が濃く映る。物語の一部になれる。ほねのずいまで休日を日常で謳歌して、それで、特にオチもなく終わるのがたまらなく日常の証明なんです。

1月22日であろう 〜マイティちから〜

ぴしゃごろん。

3歳になる我が子の映画館デビューをしなければ、と天啓のようないかずちを受けて、休日は映画館に行くことにした。わたしはゴリゴリのアクション映画が好きなので、子どもにエクスペンダブルズとパウパトロールどっちが観たい?と聴いたらパウパトロール!という回答がありましたので、パウパトロールなのであります。

https://www.pawpatrol-movie.jp

 

パウパトロール ザ・マイティムービーという映画なのでありますが、大変面白かった。普段から我が子に付き合い、パウパトロールは観ていたのですが、いつものほのぼのとしたトラブル解決は一切無くて、いつ人が死んでもおかしくないトラブル満載だったのが、なんだか可笑しかった。公式サイトでも、5つのマイティポイント!のひとつに「絶対に飽きない10のトラブルマイティパウっと解決!」とあって、トラブルは明確なエンターテイメントと理解されており、それら撮れ高のあるトラブルたちは、いつか来るであろう劇場版のために温存していたのかもしれない。映画館にいる子ども達は、トラブルの度に笑い、叫び、パウパトロールたちを応援していて、たいへん子供らしく、映画館であってもキチンと感情を露わにする情景は正にエンタメであった。わたしは昔観た映画で、ナチスの活躍を大喝采する軍人達のシーンを思い出した。そいつらはみんな最後には焼死したのであります。

劇中ではマイティパワーに目覚めたパウパトロール達が新たな力でトラブルを解決するのですが、ある1匹のわんちゃんがひょんなことからマイティパワーを失ってしまってしまうのだけど、マイティパワーを失ったら急に戦力外通告みたいなことをされていて、マイティパワーがあるから!みんなの価値基準がマイティパワーありきになってしまっている!と大変ふがふがした。人間は大いなるチカラを手に入れると、いつしかその享受されたチカラを己だけのものと勘違いして盛者必衰。マイティパワーに支配されてしまっているケント君が。マイティパワーありきでトラブルを解決しようとしてしまっている。マイティパワーがあるもの、マイティパワーを失ったもの。そんなラベルで区別される世界。わたしがマイティパワーを手に入れたら全てのマイティパワーを破壊して、そして最後にはわたし自身も消えようと誓います。マイティパワーなんてものがあるから、世界は正しい天秤のカタチを保てなくなって、それはナチスの再来を意味するのであります。マイティパワーマイティパワーマイティパワー。パウパトロール達には、もうとっくに勇気とか絆とかなんとかそんなマイティパワーがもう既にあるじゃないかそれはマイティパワーじゃないのかじゃあわたしが抱えている、バスケットになみなみと満たされた、このキャラメルポップコーンの甘美さは何マイティパワーなのか。教えてチカレッタ。

そんなわたしの心は知らず、我が子は映画館を大変気に入った様子で、明日もパウパトロール観に行く!と大変喜んでいた。めっちゃマイティパワーじゃん、と思った。記念に売店でパウパトロールのグッズを買って、よく見たら全然劇場版と関係ないグッズで失敗したなぁと思っていたけど、大変喜んでいた。めっちゃマイティパワーじゃん、と思った。

 

1月19日であろう 〜楽園のお話〜

今週のお題「一生モノ」

わたしがはてなブログを始めたきっかけは些細なもので、あこがれである。とても素晴らしい日記を書くニートブロガーがいらっしゃって、わたしもこんな文章が書きたい!と、夢と希望にあふれたスタートであった。ニュアンスとしては、暖炉の前でひげを蓄えたおじいさんがロッキングチェアをゆらゆらゆらゆら、篝火みたいにゆれながらニートのお話をしてくれて、わたしはその芳醇な物語に舌鼓を打ち、陶酔し、笑い、怒り、涙して、ねぇねぇおじいちゃん、それで?そのニートはどうなっちゃうの!?と、たまらなくニート求めて、篝火のおじいちゃんは暖かな眼差しを向けて、さぁ今日はもう遅いから寝なさい、と諭すのだ。これは恋だ?わたしは恋をしていたのだろう。ニートという事象に、エンターテイメントに、ホテルショコラのチョコレートドリンクみたいに濃厚な物語に私は、わたしは、わたしは。たぶんこの感情にはまだ名前がつけられていないのだとも思う。何か新しい特別なものなのだと嘯いて、そうすればわたしの描くニートはきっと、あの時と同じ加速度でわたしを撃ち殺すことが出来るんだって。でもわたしのニートは空を切る。その認識のズレがわたしをたまらなく蝕むのだ。蝕むのは愛?それとも、何?わからない。わからないことは、楽しい?わたしは、ニート?ゆらゆらゆらゆら、たゆたう。この感情は、あのニートブログは一生モノだ。それだけは解る。

1月18日であろう 〜歩くような速さで〜

というわけで、日記を再開したわけですが、何にせよ大層な空白期間があるわけで、まずはリハビリなわけですよ。でも文章を書くリハビリなんて文章を書くしかないわけで、わたしの心の中にいる大文豪先生が、ただひとこと「書け」と叱咤激励しており、天邪鬼なわたしの本体は、書けと言われたら書く気失いますよ?と、子供じみた交渉を行うも、空虚なお芝居は真冬の放射冷却をよりビビットにするだけであって、静謐な無。わたしは一息で世界をリセットすると、また歩き始めるのです。目的地のないお散歩。秋のどんぐりみたいに、そこら中に落ちているいい感じの言葉を拾っては、磨いて、湯掻いて、調理して。ああ、わたしの1日の始まりってこうだったなぁと懐かしむ余裕が生まれる。何かの記事で、ブログを始めるなら日記ブログはやめた方が良い、なぜならつまらないしあなたは無名で文章に何の価値も無いからです、と書いてあった。わたしは、確かに。とすんなり納得した。したんだけど、ちくりとした胸のうずきはわたしの真実を物語る熱量を有しており、わたしはこの事象に「はんこつしん」と名前をつけて、それは貴方がつまらないだけじゃあないか、と思うだけ。思うだけ。名前をつけただけ。でもやっぱり道端に落ちてるいい感じのどんぐりは素敵にひかりで、ひかりそのもので、ブログにはおかえりと言ってくれる方がいて、わたしは当たり前に少し幸せだった。それならばまた歩き出せるわけで、でも心に住まう大文豪先生は書けとがなるだけで何もしてくれない。ヨクカケールとか、なんかそういうマジックアイテムの差し入れはないものなのか。